地元西尾の歴史の話。船ガラ紡。

渦のある愛知県西尾市はそもそも、綿においては歴史のある街。
以前、「綿伝来の地」についてブログで紹介させていただきました。

では、明治で発展した「ガラ紡」について知ったことを書こうと思います。

というのも、先日とあるご縁で、
西尾市中畑町へお伺いしました。10年以上前に廃業された機屋さんでしたが、
倉庫を壊すということで捨てられる生地をなんとか使えないかと引き取らせていただきました。

その生地は、丈夫な帆前掛け用の綿生地。
こちらは、素敵なご縁でしたので、次回改めてブログにて紹介させていただこうと思いますが、

その際に、90歳を超えるおばあちゃんから、

「西尾市中畑町周辺が、かつて撚り糸屋さんや、機屋さんが多かった」

と聞いて、ふと疑問に思い調べてみたのです。すると、

「西尾市の船ガラ紡」

という明治に遡るワードに出会いました。

そもそもガラ紡とは、日本で発明された紡績機械。
明治時代~昭和初期に活躍したそうです。

ガラガラと音を立てて、糸を紡績することからその名前がついたとか。
国産の綿に適した紡績機械で、洋式紡績機が普及する以前に普及していたと言われています。

現在、日本では数件の業者しかガラ紡は使用しておらず、
その仕組みは歴史的にも価値があるもの。

三河地方において、この歴史ある紡績機械のガラ紡ですが、
岡崎市や安城市では川に水車をつけて動かしていたそう。

しかし、西尾市では「船ガラ紡」といって
矢作川や矢作古川にて、船の上で紡績を行なっていたそうなんです。
すごい方法ですよね。

以下、引用↓

————————–
明治11年(1878)に鈴木六三郎が矢作古川で船ガラ紡 に成功すると、翌年には矢作
川沿いの中畑町においてもはじめられ、船ガラ紡の中心地となった。 これ以降急激に発展し、
最盛期の明治31.32年(1898.1899)には64隻を数えたが、水害の危険性が高
いことや発動機・電気の普及等に伴い陸工場が次第に多くなり、昭和8年(1933)を最後
に姿を消した。太糸の生産の主流であった。

(『日本が誇る産業遺産・三河ガラ紡』 作成:愛知大学中部地方産業研究所 より)

————————–
(↑地域の情報サイトまいぷれ より引用)

西尾市中畑町のおばあちゃんのふと聞いた一言から、
面白い歴史を知ることができました。

地域の産業には、発展し衰退した様々な理由があり、
その上で今の自分たちはお店をしているんだな〜と改めて勉強になりました。

いつかガラ紡の糸で織られた生地で、
何か作りたいな〜と思っちゃいました。


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